【書評】竹田恒泰『天皇は本当にただの象徴に堕ちたのか』

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Mossphloxです。

竹田恒泰『天皇は本当にただの象徴に堕ちたのか』を読みました。

これは画期的な本です。

大日本帝国憲法と日本国憲法では何が変わって何が変わらないのかを事細かに検証した本です。

決してイデオロギーに偏ることなく、政治的に中立の立場で、資料に基づいて書かれています。

竹田氏の日本国憲法についての考え方は画期的で、しかも合点がいくものです。

保守派は日本国憲法無効説、左翼は八月革命説に立つことが多いです。

どちらも日本国憲法は大日本帝国憲法の改正限界を超えているという前提に立っています。

改正限界を超えているから本当は成立しておらず無効であると説明するのが無効説、1945年8月に法学上の革命が起きたから改正限界を超えた改正がなされたのだと説明するのが八月革命説です。

竹田氏はこのどちらにもくみさず、日本国憲法は大日本帝国憲法を改正したものだという「改正憲法説」に立ちます。

一般的なイメージは、

大日本帝国憲法=天皇が何でも出来る

日本国憲法=天皇が何も出来ない

というものだと思います。

この本を読むと、両憲法の実像は世間一般のイメージとは大きく異なるということが理解できます。

大日本帝国憲法はイメージほど天皇の権限が大きいわけではなく、日本国憲法はイメージほどには天皇が無力化されているわけではないというのが実際のところです。

だから大日本帝国憲法と日本国憲法は根本原理が異なるとまではいえず、したがって日本国憲法は帝国憲法の改正限界を超えていない。

改正限界を超えていないのだから日本国憲法無効説も八月革命説も成り立たない。

日本国憲法はあくまで大日本帝国憲法を改正限界の範囲内で改正したものである。

これが竹田氏の主張です。

一理あると思いませんか?

もっと詳しく知りたいと思った人はぜひこの本を手に取ってください。

以上!

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