【漫画】『夜見の国から~残虐村綺譚~』池辺かつみ

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池辺かつみの『夜見の国から 残虐村奇譚』を読んだ。

実際に起きた殺人事件「津山事件」から着想を得たフィクションである。

決して万人受けする作品ではないが、間違いなく傑作だ。

展開は端的にいうと主人公が肺病をきっかけに村ぐるみのいじめを受けるようになり、最終的に殺人によって恨みを晴らそうとするというものだ。

以下、ネタバレを含む。

世界観は独特である。

主人公の感覚から見た世界が描かれている。

そこにはいないはずの尼さんが節目節目で主人公の前に現れるシーン、数年前に亡くなったはずの「トミ子」「トメ子」があたかも生きているかのように話しかけてくる様子、殺害されたはずの「寛子さん」が主人公の寝床に現れるシーン等がある。

こういった現実と虚構の一体化した世界の描き方が非常に巧みで、引き込まれずにはいられない。

この漫画は主人公がいじめ抜かれる救いのないストーリーでありながら、幻想的な雰囲気もかなりある。それは「尼さん」や「トミ子とトメ子」のシーンのなせる業であろう。

伏線の引き方もまた非常に巧みである。

上巻に、写真屋から送られてきた主人公の写真が極端にげっそりしており、主人公の祖母「婆様」も主人公が恋心を寄せている「みな子」も「これは写真館が別人の写真を間違えて郵送したのだろう」と口を揃えるシーンがある。

この時主人公だけがその写真を自分のものと信じ、「婆様トみな子ガ何ヲ言ッテイルカ解リマセンデシタ」「ソノ写真ハ紛レモ無ク僕デシタ」と認識している。

そしてその後主人公は肺病の罹患が発覚し、村人からのいじめも始まり、その写真のようにげっそりした顔つきになっていくのである。

構成は非常に優れており、無駄が無い。

ここは省いた方がすっきりするだろうという冗長なシーンがなく、全てのシーンが意味を持っている。上下巻にぴたっと最適化されて収まっている。

ここまで構成の良い漫画はめったにない。

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画力、この漫画が描こうとするもの、印象的な場面とは!?

画力は漫画界トップクラスといっていい。

写実的で、それでいて人物の顔は愛着を持てるデザインになっている。

男と女、子供と青年と中年と老人の描き分けがしっかりできている。

キャラクターデザインも、台詞のあるキャラクターは全員が区別できる顔を与えられている。

男と女の顔が似通っている、中年や老年の人物もまるで20代のようなキャラクターデザインになっている、全ての登場人物の顔のつくりが似通っているといった漫画はごまんとある。そういう描き分け能力に問題のある漫画は多い。人気作品であってもだ。

だからこの漫画のように描き分けがしっかりできている作品に出会うと嬉しくなる。

この漫画は人間の性質を冷徹に描く。

そのようなシーンが多くある。

一つは、猟銃を持つようになった主人公が村の婦人からあいさつを無視されるも怒りを見せず、「僕ハ今猟銃ヲ持ッテイマス/イツデモ撃テルノデス」「強イノデス」「デモ撃チマセン/強イカラ撃チマセン」と落ち着き払っているシーン。

これは、いざとなれば相手を圧倒できるという場合には、むしろ相手に食って掛からず穏便な態度をとれるという人間の性質を表現している。

もう一つは、村人たちが主人公をリンチした後、「睦男は親がいねえから躾けがなってねえ…村の男衆全員で睦男の親代わりになってやらんとな…」「そうじゃそうじゃ」と自己正当化するシーンである。

現代でも親が子に、教師が生徒に暴力を加え、警察が介入し逮捕されるに至ってもなお「躾のためだった」と強弁して恥じることがない。そのような理不尽な暴力は、報道されているものだけでも枚挙にいとまがない。

自分がすっきりするために相手をいたぶり、教師と生徒あるいは親と子という権力関係を利用して後付けで自分の行為を正当化するというのは、今と昔とを問わず何かしら有利な立場の人間が陥る畜生への道なのだろう。そのことをこのシーンは表現している。

三つ目は終盤、主人公を目の敵にしていた「正太郎さん」と主人公の対決シーンである。

「正太郎さん」は村人のリーダー格で、主人公への数々のいじめに加担または黙認し、「村一番の嫌われ者を毎年春になったら穴を掘って生き埋めにする」という村の掟による不法行為を主導している人物である。

主人公が好いている「みな子」の父親でもある。

「正太郎さん」は武器を持って家を襲撃してきた主人公に対し、銃で応戦して問い詰める態度をとった。

ところが銃を奪われて劣勢になり、主人公が「みな子」を殺害すると言い出すやいなや、あわてふためいて出まかせを並べて主人公の機嫌をとろうとする。

「睦男…実は儂はお前に一目置いておったんじゃ/餓鬼の頃から頭が良くて面も良い」

「なあ睦男/一時はみな子を嫁にくれてやろうとも思っておったんじゃ/なあわかるじゃろう?」

「そっそうじゃ! みな子は離縁させよう! そうじゃそれがいい! なぁみな子/離縁じゃ離縁! みな子お前睦男のとこに嫁に行け!」

と。

「正太郎さん」は村の掟で「寛子さん」を殺害する時に何の同情の様子も見せていなかった人物である。

そのような人物がいざ自分や自分の子女が殺されそうになると面子を捨てて命を惜しむ。

現代では、死刑囚が人を殺害しながら自分が死刑を求刑されるとあれこれと理由をつけて一審、二審、最高裁と死刑を免れようとし、刑が確定すると今度はいつまでも再審請求を出し続けるのに似る。

これは「デスノート」でも、ノートの力で人を殺してきた主人公が自分の名前がノートに書かれると生に執着し出すという形で描かれている。

この「正太郎さん」の苦し紛れのシーンはそのような人間のどうしようもなさを表現している。

村人たちへの怨みを晴らすため、殺人鬼となった主人公。そんな主人公に残っていた人の心とは!?

この漫画は基本的に救いのない展開が続く。

主人公は肺病罹患前は「トミ子とトメ子」が見えるなど感受性が強すぎる点を除けば、普通の青年として描かれている。

それが肺病が発覚してから村の人々から掌を返したような冷たい仕打ちを受けるようになり、その性格はだんだん屈折としたものになっていく。最後には積み重なった怨みを晴らすために、闇夜に紛れて村人達を切って回る。

そんな漫画なのだが、今まさに村人達を切って回っている主人公にも人の心が残っていたと感じさせる場面がある。

それがこの漫画を単なる残虐シーンを並べるスプラッタではなく、人間の心を描く漫画として成立させている。

一つは、「節子」を撃った主人公が「節子」が自分の生き別れの姉であることに気付いて苦悩するシーンである。

このシーンには非常に引き込まれる。

もう一つは、自分と駆け落ちの約束をしていながら他家に嫁いだ「みな子」との再会の場面である。

他家に嫁いだ理由は作中では描かれていない。

主人公は「みな子」を殺害の最大のターゲットとしている。

しかしながら、「正太郎さん」との乱闘のさなかに「みな子」と再会すると、殺害する気が遠のき、ついぞ「みな子」に危害を加えないのである。

「みな子ノ美シク悲シゲナ顔ヲ見テ/僕ハみな子ヲ……みな子ノ全テヲ許ソウトモ思イマシタ」

「みな子ハ少シ大人ビテ誰ゾノ嫁ニナッタノダト確信シマシタ」

これが主人公の心の声である。

怨みを持っていても「みな子」を好きな気持ちも残っており、目の前にすると好きな気持ちが勝ってしまい、手にかけることができなくなるという心の動きは、多くの人が理解できるのではないだろうか。

この漫画には考えさせられること、人間の本性をハッと思い出させられることが多い。

そして独特の世界観と無駄のない構成、印象的な台詞回し(四角吹き出しに書かれる主人公の心の声)に引き込まれて、救いのない展開でありながらノンストップで読むことができる。

人間の本質に目を向けたい人や、読者を強烈に引き込む作品を読みたい人には、ぜひこの漫画を手に取って欲しい。

<紹介した作品>

池辺かつみ『夜見の国から~残虐村奇譚~』上・下 日本文芸社、2013年

【筆者注】

この記事で引用した台詞はすべて紹介作品のものです。

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